今回はお地蔵さんではありません。今まで見てきたお地蔵さんのほかに高野街道沿いにお地蔵さんが祀ってあるだろうと思って河内長野観光協会の高野街道というブログを見ました。すると「鳴滝の石仏」というのがありました。隠れキリシタンが迫害から逃れるためにわざと石造を破壊したものと推定されると書いてあります。河内長野にも隠れキリシタンがいたのかと思いその石造を見に行くことにしました。所在地は末広町と書いてあります。写真の雰囲気からしてこの辺りではないかと310号線沿いの崖下などを見て歩きましたがそれらしきものはありません。観光協会へ聞きに行きました。諸越橋を渡って右に入ったところ、階段があって水路の向こう側ですと言ったような説明でした。行ってみました。
↑ 地図の○印のところです。
↑ 南海電車の河内長野駅の南側の踏切を越えてすぐ左の坂道を下ります。
↑ 諸越橋をわたります。
↑ 橋を渡ってすぐこの狭い道に入ります。
↑ 左側に階段があります。階段の上は水路、その水路沿いに左に入ることができます。
↑ 数メートル行くと石像がありました。写真を撮ります。帰ってから観光協会の写真と比べると違います。観光協会の写真はお顔がありません。何故か・・・また観光協会へ聞きに行きました。
たしかに違う・・今、分からないので調べておきますということでした。二週間たってから聞きに行きました。私の写真はマリア様、その石造のもう少し奥にありますとのことでした。奥・・と言っても入れるようなところではない・・・と思いました。見に行きました。
↑ 今度は黄金橋を渡って行きました。
↑ この階段を上って奥の方・・・
↑ この前の石像の奥・・足元に注意しながら入って行きます。
↑ ありました。シダの葉に隠れていますがキリシタン信仰の尊像です。
こんなところに石造を立てて信仰されていた。当時はこの辺りは険しい山の中、ここまで来るだけでも大変だったはず。感動するものがあります。