「歩こう 赤峰の水路 -7」では道が崩壊していたので途中で引き返しました。昨日は道なきみちも歩ける恰好で出かけました。長さ2メートルくらいの竹の棒を持って行きました。なにか蚊のような虫が顔の辺りを飛び回ったりしていましたのでスキンガードも持って行きました。これは使う機会がなかったですが。それにお茶、リュックサック。竹は杖代わりです。水路の端のコンクリートのところを歩く時に水路の中に杖を突いて歩くつもりです。ぶらり散歩がすこし大そうなことになってきました。
↑ 先だって引き返したところに来ました。水路の下を通るか、杖をついてコンクリートの上を歩くか・・・杖があるので上を歩きました。大丈夫です。
↑ 水路のそばに名前は知りませんが、かわいい花が咲いていました。
↑ 訂正:水路にコンクリートの蓋をかぶせてあります。「井路」にトンネルが二つあるように書いてあるのですが、これがそのトンネルかも分からないと思ってその上を歩きます。
今日、ふるさと歴史学習館へ行って調査をされた方に聞きました。地図に書いてある向浦辺りトンネルはこの付近にあるそうです。これはトンネルへつづく水路だろうとおもいます。トンネルがどこにあるのか見つけることができませんでした。
↑ 「真砂」と書いた石碑があります。ここに樋があると言うことでした。
↑ 崖が崩れてきてトンネルの上に土砂が盛り上がっているところを乗り越えて行くと・・・
↑ 訂正:「堀貫」という石碑がありました。この近くにトンネルがあるようです。トンネルを見ることができませんでした。前ばかり見て歩いているからかもわかりません。
↑ 下を見ると石垣です。苔で石が被われています。年代物・・昔の石垣かもわかりません。ほぼ垂直の石垣、作るのが大変だっただろうなぁと思います。
↑ 左へ曲がって行くのだろうと思ってみていると石碑が目に付きました。近づくと・・
↑ 「堀切」と書いてあります。水路を通すのに山を切り取ったところだそうです。
↑ 訂正:ここはトンネルを出てきたところのようです。トンネルに気が付かずにトンネルを迂回して歩く道を通ってきたようです。よかった。先へ進みます。
↑ 右の崖が崩れ落ちてきています。石がごろごろ。
↑ 水路の上です。ここもひどく崩れています。倒木はかなり古いものです。左側は谷底、慎重に歩きます。
↑ 「大陰」という石碑がありました。ここは日の谷という谷を出てきたところだそうです。
↑ こんなところもありました。かなり前に倒れた木を切ったところです。木も腐ってきています。
↑ ここで水路が大きく左に曲がっています。蓋は鉄板のようですが、その上を笹、草が被っています。
↑ 下へ水を落とす樋がありました。水量が増えてきた時などに開けて水路の水量を調節するようです。下の田んぼへも水を流すのかもわかりません。
↑ 前方がトタンで遮断されています。少し前に日野のコミュニティーセンター「みのでホール」の方から下流に向かって入って来た時に、このトタンのところから先は入ってはいけないのだとおもって引き返したことがありました。今日は下流から遡ってきています。
トタンの仕切りを越えて「みのでホール」の方へ行きます。
「みのでホール」の北側の道路にきました。歩いて来た水路を振り返って見た写真です。
昨日はここまでの歩きでした。
道路から南側の水路です。ここからが難所です。この日の装備では「あげ口」まで行けそうもありません。トンネルの中を歩かないといけないところもあるそうです。歩けるかなぁ・・・。どんな格好で行くのがいいか考えます。
「あげ口」というのは水路への水の取り入れ口です。地元の水利組合の方がそのように呼んでいるそうです。水路も水路、井路、井堰、溝などとありますがこれも地元の方が言っている呼び方だそうです。今歩いている水路は連合井堰と言うそうです。
歩きに行く前に「ふるさと歴史学習館」へ行っておくといいのですが、昨日は快晴でした。今日は雨の予報でしたので、順序を逆にして、先に歩いてきました。