人気ブログランキング | 話題のタグを見る

歩こう 一歩づつ

satoyoshia.exblog.jp
ブログトップ

おへんろ日誌  7日目 

お遍路日誌           
第7日目
    平成23年11月13日(日)
  この日お参りしたお寺
          第65番札所  三角寺

  5時半に起きた。6時頃から朝食。昨日、買っておいたパン、サラダなど。今日も雨は降らないようだ。歩きやすい天気のようだ。7時10分に「ろんどん荘」を出た。
今日は三角寺へのお参り。三角寺は標高480mのところにある。かなりの登り道があるのだろう。前回はこの辺りのお寺への道は険しかったというような記憶はない。険しかったのは焼山寺だ。上ったり下ったりの繰り返しがこたえたのだろうとおもう。
  朝、三角寺の山の方が霞んでいる。山陰で朝日が見えないのかも分からない。30分ほど歩くと見覚えのあるところに来た。大きな水道のタンクがある。フェンスがある。前回はこのフェンスの入り口のところに座り込んで昼食をとったはず。その場所はあそこだ・・と近づいて行く、まさにそこだった。向かい側が高速道路沿いの松林で車の音が聞こえる。道端の草はきれいに刈ってある。
懐かしい場所だ。今回は座らずに素通りした。
  登り坂に差し掛かる。村の中だ。家の石垣、扁平な石を積み上げている。どこの家も同じような石垣がある。前回は歩きながら、この石を集めて積み上げるのに先人はどんな苦労をしたのだろうと思ったものだ。その道を登っていく。上柏町辺りから眺望が開けた。遠く海が見える。
  山道に入っていく。途中にベンチがあった。お遍路さんが二人座っている。私が近づくと一人が立ち上がって歩き出した。そこで立ったまま小休止。
ベンチに座っていたもう一人の人と歩きながら話をする。その人は名古屋から来ているそうだ。Nさん。1年に6日間だけくる。今回で7年目だという、今日は5日目、明日は名古屋に帰るそうだ。Nさんは杖をついているが遍路杖ではない。足が少し悪いらしい。普段使っている杖をついているようだ。
  よくしゃべる人、小さい時にヘルニアの手術をしたが上手くできなかった。それ以来、杖をついている。身障者の5級に相当するそうだ。
7年前に親友と四国を回ろうと言って歩き出した。初めは良かったがだんだん意見が合わなくなってきた。だんだん喧嘩をするようになってきた。忘れもしない19番札所立江寺で大喧嘩になった。近くの立江駅から帰った。それ以来その人とは会っていないという。
  Nさんは宿を予約しないという。3日ほど前に野宿をしたそうだ。夕方、暗くなって、どこかで座っていると、眠たくなって眠ってしまったとか。リュックサックは10kgあるという、小さめのリュック、10kgもあるのだろうかと思った。
二人遍路の道中は各自のペースで歩いて、途中落ち合う所を決めておいて歩調を合わせるのがいいと言われている。その通りだ。
  Nさんと話しながら三角寺についた。話しながらの歩きはそちらに気を取られて本来のお遍路とは言えない。三角寺でお参りをしているとNさんがお寺の休憩所でだれか、Dさんと話をしている。Nさんはお参りをしないのだ。信心家でないのでお参りをしないと言っていた。朱印は頂いているそうだ。スタンプラリーのように歩いている。
NさんはDさんと歩きだした。私も三角寺をあとにした。
  三角寺からは下り道、椿堂を目指す。
  三角寺からNさんとDさんのあとについて歩く。彼らは話しながら、ゆっくり歩くので歩調を合わせるのもいいだろうとついて歩く。
しばらくそのように歩いていたが余りにもゆっくり過ぎる。途中から先に歩く。
  椿堂が見えてきた。
前回、平成15年3月、椿堂は大師堂の建築中だった、基礎工事をしていた。瓦を一枚奉納した。お寺の人からお茶をお接待された。あの時は椿堂までお遍路とし、椿堂からはバスで一野屋旅館という宿へ向かった。
バス停でバスを待っている私に中学生が牛乳を収集中のタンクローリーを見て、これに本当に牛乳が入っているのですかと聞いてきた。入っていると思うよと言うと「そらみろ僕が正しいぞ」と友人に言って笑っていた。また中学生くらいの女の子が歩いて坂を下って帰って行った。帰る途中、曲がり角で振り返って手を振っていた。この辺りの子供はかわいいなぁと嬉しく思ったのを覚えている。そんな椿堂だ。
大師堂はどうなっているだろうと近づく。大師堂は出来てから8年くらいたっている。新しいという感じではなかった。  朱印を頂く「歩いているのですね」とお寺の人が「おにぎり」というお煎餅をくれた。ありがたく頂く。
  しゃべりながらNさんとDさん坂を下り、椿堂へ入って来た。入れ違いに出かける。昼食を持ってないので頂いた「おにぎり」と持っていたクッキーを食べながら歩く。
  椿堂を出て40分くらいで、休憩所があった。そこに菅さんのサイン入りの色紙が飾ってあった。
1時間少しで、愛媛県と徳島県の境にある「境目トンネル」に着いた。境目峠を越えるのが本来の遍路道だが、近道のトンネルを歩く。トンネル内の騒音防止に耳栓が役立つ。耳栓をすると音もなく車のライトが通り過ぎる。トンネルを出ると徳島県三好市だ。温度表示器があり17℃となっていた。最適の温度だ。
  境目トンネルから1.5km程歩いて民宿「岡田」についた。今回のお遍路の最後の宿。
近くにホテルか旅館がないかと思っていたが、雲辺寺の近くにはこの民宿があるだけだ。
  民宿の入り口に「予約のお遍路さんは裏へ行ってください」と書いた紙が貼ってあり、矢印がしてある。裏へ行く。声を掛けると男性が出てきた。中年の人だ。「こちらです」といって、すぐ裏の別の建物の戸を開けた。この部屋へどうぞと上がりがまちのすぐ横の部屋へ案内してくれた。6畳くらいの部屋、ストーブが置いてある。私が一番早かったらしい。
  荷物の整理をする。一番風呂に入る。夕食までまだ時間がある。そこら辺りを歩いて来ますというと民宿の奥さんが雲辺寺の上り口まで1キロくらいですと言うのでそこまで行ってみることにした。
  静かな村だ。雲辺寺の登り口、なんとなく見覚えがある。引き返す。
  夕食、私とNさん、Dさん、北海道から来たという人、車で廻っているという飛び込みの人の5人だった。食卓の正面には、民宿のおじいさんが座っている。
北海道の人とはどこかで一緒に歩いたこともある。その時11月末までこちらに居られるので、その間に結願すると言っていた。農家の人だ。留守中は奥さんが畑を見ているとか。
食事の時に、今朝、家内から連絡が入り明日は雪が降るので今日中にブロッコリーをとらないといけないと言っていた。先ほど連絡がありブロッコリーの刈取りができたと言っていたと話していた。
民宿のおじいさんは菅さんがここに泊まったと言っていた。部屋がなかったので二階の小さな部屋だったそうだ。菅さんは三人で歩いている、SPと秘書だそうだ。秘書が止まる部屋がなかったので車で町まで行ったとか、秘書は足に豆ができて可哀そうだったと話していた。予約が遅かったのかという誰かの問いには答えなかった。だれかが二階のあの三畳の部屋ですかと聞いたが、おじいさんはそれには答えず「起きて半畳、寝て一畳」と繰り返し言っていた。
食事が終わるころにおじいさんが地図をくれて、これから先の道を間違わないようにと細かい説明をしてくれた。最後に八十八ヵ所の記念切手のPRがあった。
宿のおじいさんが宿帳を書いてほしいと言って宿帳を順番に回してくる。私のところには最後に回ってきた。各自が氏名、年齢、住所を書いている。Nさんは72才、Dさんと北海道の人は60才台、車の人は40才台のようだった。私が最高齢者だった。
食事をおえて部屋へ帰って明日の荷物の持ち方の確認。あすは最大の難所と言われている第66番札所雲辺寺へ行って、山を下って大興寺へお参りして観音寺から帰宅の予定だ。怪我などしないようにまた膝を痛めないように歩かねばならない。
9時頃床に入る。二階で人が歩くとどんどんと音がする。古い家なので仕方がない。それにしても喧しいものだ。
夜中に目が覚めた。なにか音がする。小さい音だが「ゴーゴー」とか聞こえる。周期的な規則正しい音だ。何の音だろうか・・・・分かった二階の人のイビキだ。さぞ横の部屋で寝ている人はたいへんだろと同情する。すごいイビキの人だなぁと思っているうちにまた寝てしまった。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_1083545.jpg

朝の早い遍路道。山が霞んでいます。どの辺りが三角寺なのだろうか。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_1092857.jpg

前回、大きいタンクのフェンスの左側の端、扉のあるところで休んだと思いながら近づきました。 その通りでした。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10101960.jpg

遠くに海、工業地帯が見えてきました。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10111816.jpg
おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10115255.jpg

三角寺への階段、境内です。右に皇帝ダリアが見えます。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10124721.jpg

道路が崩壊しています。手前に通行止めの標識があるのに、ここまで突っ込んできた車がありました。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10134462.jpg

ツゲの木をきれいに刈りこんで、鶴とカメの形にしてありました。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_1014297.jpg

石垣、どこの家の石垣もこのような扁平な石を積んであります。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10152320.jpg

椿堂が見えてきました。白い大きな建物の右側の端の方です。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_1016841.jpg

椿堂の大師堂です。前回はこの大師堂の基礎工事をしていました。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10165319.jpg

菅さんのサイン。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10174543.jpg

境目トンネルです。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10185062.jpg

民宿「岡田」、宿の建物は写っていません。母屋の裏、この写真の右側にあります。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_10193882.jpg

雲辺寺の登り口への遍路道です。

おへんろ日誌  7日目 _b0212898_1020564.jpg

雲辺寺への登り口、右側に「雲辺寺遍路道入り口」と書いて矢印が左側の細い道を指しています。
by satoyoshiaki | 2011-12-03 10:22 | お遍路日誌 | Comments(0)